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最高裁判所第一小法廷 昭和44年(し)7号 決定 1972年10月23日

決定

申立人

(旧名)吹喜雄

徳本光正

右の者の再審請求事件について、昭和四三年一二月二一日大阪高等裁判所がした抗告棄却の決定に対し、申立人から特別抗告の申立があつたので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件抗告を棄却する。

理由

弁護人和島岩吉、同北山六郎、同難波貞夫連名の特別抗告申立理由(昭和四三年一二月二五日付)第一点について。

所論主張の申立人らを被告人とする監禁・強要事件の控訴審の審判を担当した裁判官が、本件再審請求事件の抗告審の審判に関与しても、憲法三七条一項の公平な裁判所の裁判でないといえないことは、当裁判所昭和二四年新(れ)第一〇四号同二五年四月一二日大法廷判決(刑集四巻四号五三五頁)の趣旨に徴し明らかである。所論は理由がない。

同第二点のうち、判例違反をいう点について。

原決定は、なんら所論引用の各判例と相反する判断を示しているものではないから、所論は理由がない。

同第二点にのうち、その余の点について。

所論は、単なる法令違反の主張であつて、適法な抗告理由にあたらない。

同第三点のうち、判例違反をいう点について。

所論は、判例違反をいうが、具体的な判例の摘示を欠き、適法な抗告理由にあたらない。

同第三点のうち、その余の点、弁護人和島岩吉、同難波貞夫、同北山六郎の特別抗告申立理由(昭和四三年一二月二七日付)第三および弁護人難波貞夫の特別抗告申立理由一、二について。

所論は、事実誤認、単なる法令違反の主張であつて、適法な抗告理由にあたらない。

弁護人和島岩吉、同難波貞夫、同北山六郎連名の特別抗告申立理由(昭和四三年一二月二七日付)第一、第二のうち、判例違反をいう点について。

所論引用の判例は、事案を異にし本件に適切でなく、適法な抗告理由にあたらない。

同第一、第二のうち、その余の点について。

所論は、単なる法令違反の主張であつて、適法な抗告理由にあたらない。

弁護人難波貞夫の特別抗告申立理由三について。

所論は、違憲(一一条)をいう点もあるが、実質はすべて単なる法令違反の主張であつて、適法な抗告理由にあたらない。

申立人本人の特別抗告申立理由について。

所論については、以上各弁護人の抗告申立理由について判断を示したとおりである。

よつて、刑訴法四三四条、四二六条一項により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(藤林益三 岩田誠 大隅健一郎 下田武三 岸盛一)

弁護人和島岩吉、同北山六郎、同難波貞夫の特別抗告申立理由

第一点 原告抗告棄却の決定は、憲法第三十七条第一項に違反するものとして破毀さるべきものと思量します。

一、本件再審請求事件は、昭和四二年四月一四日神戸地方裁判所において、再審請求棄却の決定があり、請求人ならびに、弁護人より即時抗告の申立をし、大阪高等裁判所刑事第五部に、おいて審理されていたが、昭和四十三年九月二十日に至りこの事件は、同庁第二刑事部に割替えられ、同年十二月二十一日抗告棄却の決定があつた。

之より先同刑事部には、請求人等に対する監禁強要事件の控訴審(検事控訴、被告人控訴とも)、がけい属していた。

この控訴の判決も前同日の十二月二十一日宣告され検事控訴も被告人控訴も棄却された。このことは、一件記録で明らかである。

二、請求人は、昭和三十二年三月十日神戸から有馬に、通ずる有馬街道上で起つた三人組の自動車強盗事件(以下三、一〇事件と略称する)の犯人の一人として起訴され、一審神戸地方裁判所で懲役七年、大阪高等裁判所で控訴棄却、最高裁判所で上告棄却となり、昭和三十六年九月十四日、右刑が確定した。

請求人は、終始無実を訴え、真犯人を探して来たが、同人の無実を晴らすことに協力して来た、私立探偵大塚義一氏により、小林成司、奥幸雄、下山四郎の三名より同人等が、三、一〇事件の真犯人である旨の自供を得るに至つた。

大塚氏は、この三名よりの自供に基き、口供録取書をとり、その自供を内容とする対話を録音テープに録取した。更に偶然のことより、三・一〇事件の被害者稲村清が当夜救を求めた、空野宏氏より、確定判決に認定された場所が、当夜の場所ではないと言う事実を調査することができた。

請求人は、ここに於て昭和三十九年十二月十四日之等の証拠により神戸地方裁判所に、再審請求の申立をしたものである。

三、之より先、昭和三十二年四月六日前記小林等三名は、前記大塚氏に対する自供は、請求人等に監禁され強要されたものと主張するに至り、請求人等に対する監禁強要事件が立件起訴されるに至り、神戸地方裁判所長久裁判長の部に於て、審理されるに至つた。

この事件の起訴事実は、「請求人は、三・一〇事件の犯人の一人であるに拘らず之が、罪を免れるため、小林等三名が、犯人であると監禁強要して自供させたものというにあり、小林等三名は、三・一〇事件の真犯人であり良心に目覚めて任意に自供したものとする請求人の主張により、この事件の審理は、はからずも実質的には、請求人が、無実と認められるか、どうかの審理が行われることとなり、百二十七回の公判を重ね、この判決で請求人の無実が認められるが、小林等三名も真犯人とは、認められないと認定されるに至り、この判決に対し、検察官、被告双方より控訴となつたものである。(再審事件で昭和四十三年十月九日大阪高裁は、この事件の全記録証拠物を、証拠調をする旨の決定をして居る。之らの記録で、この事は、明らかである。)

この事件の控訴審は、大阪高等裁判所第二刑事部で審理されて居たのである。

四、以上明らかなように、再審請求事件と監禁強要事件は、その内容に於て密接な関係にあるものである。

本件再審の請求は、刑事訴訟法第四三五条一項六号に、よるもので、ここで新規、明白な証拠は、小林等三名の自供を内容とする口供録取書、録音テープ、三・一〇事件の犯行場所の相違を明らかにする空野宏の証言、後には、「請求人が、三・一〇事件の真犯人でないと言う主張は、首肯するに足る」とする監禁強要事件の第一審判決である。そして、監禁強要事件は、右の証拠中、小林等三名の自供は、請求人等の監禁強要に、基く真実性のないものとして、その否定を内容とするものである。

五、この監禁強要事件の審理に当つた、大阪高等裁判所第二刑事部が、本件再審請求事件の審理に当ることは、憲法第三十七条に言うところの「公平な裁判所」とは言えない。請求人の挙示する証拠の新規明白性を判断する以前に、之を批難攻撃することを内容とする、監禁強要事件の審理をすることは、明らかに予断偏見を持つことになることは、明らかである。しかも本件は、棄却決定の僅かに、二ケ月前に割替となり、控訴審判決と同日に決定が為されて居る点から見ると、之が、審判に当る時、既に再審の抗告審の判断を予断して居たものと見るの外はない。抗告棄却の決定と之を大阪高裁二部が、担当するに至つた時との間に、二ケ月あるのみである。部の構成に於て、裁判長、右陪席判事の二人迄が、同一の裁判官である。新に、この構成の一員となつた裁判官は、本件の尨大な記録を超人的な努力をしても到底通覧することすら不可能である。請求人の確定判決の一、二、上告審の記録、監禁強要事件の、一、二審記録、本件再審請求事件の記録及び小林等三名の二・二事件(二月二日の自動車強盗事件を略称する)の一件記録も重大な関連を有つ、当審で十月九日証拠調をする旨の決定のあつた監禁強要事件の、一審記録だけでも、三十四冊、壱万四〇三九丁弐万八千七十八頁(控訴審の記録は、未整理である)、再審事件の記録は、四冊、丁数がないが、ほぼ見当がつく。之に加うるに、請求人の確定判決の一件記録は、四冊、二千五百六十四丁五千百二十八頁になつている。之等の記録を調査するためには、前記二ケ月の期間で到底不可能であることは、実験則上も明らかであり、この期間より更に、決定の合議決定の起案の日時等を考慮すれば、思半に過ぎるものがある。この事は、他の控訴事件を処理し乍らの刑事二部に於てのことであることを考えると如何に、本件審理が為されたか、誠に警くべきことでは、なかろうか、こうした観点から考察すると、新に、抗告審の構成員となつた裁判官は、既に年余に亘り監禁強要事件の控訴審の裁判官として、請求人の再審請求における新証拠の批難攻撃を内容とし、その立証に全力を傾倒して居る監禁強要事件の審理に当つて来た、先任裁判官等の予断と偏見に支配されざるを、得なかつたと見るの外はない。

本件、抗告審の裁判所は、その構成員の二人迄「前審関与」と同様の裁判官によつて、構成されていることも明白である。その審理方法も前記のように、予断と偏見によつて審理されたと見るの外はない。(このことは、別に抗告理由とする「重要を主張の判断遺脱、経験則違反及四一一条に該当する決定となつている。参照され度い)

以上申述べたように、原決定は、いづれの点から見ても「公平な裁判所」とは、言えない裁判所の決定で憲法第三十七条に違反すること明らかであつて破毀さるべきものと信じます。

第二点 本件、抗告棄却の決定は、重要な事実に、対す判断を遺脱したか、最高裁判所の判例に違反した違法があり、破毀を免れないものと思料します。

一、本件、抗告審で、正式に証拠調の決定(十月九日附)のあつた監禁強要事件の一件記録中の第一審判決で、次の様に判断されている。

(イ) 以上、三・一〇事件の犯人認定上の核心的な証拠についての検討を加えたが、被害者稲村、目撃者小坂、同谷口の犯人識別の正確度は、極めて低く、助手席に乗つていた男が、被告人吹喜雄である旨の供述は、いずれも、にわかに措信することができず、遺留下駄から、被告人吹喜雄が犯行現場にいたという推論もできない。

ところで、三・一〇事件は、三人組の強盗傷人事件であつて、当時の被告人吹喜雄の交友関係なども、かなり捜査されているのであるが、被告人吹喜雄の身辺からは、共犯者と目される者は現われていないばかりか(控訴審証人西山竜尋問調書謄本、33.6.4付、33.6.6付、33.7.11付捜査復命書謄本)、既に八年余の歳月を経過した現在、未だに、他の二名の犯人は、明らかにされていない。更に、被告人吹喜雄が、犯行の前に、他の二名の共犯者とどのような行動をとつていたのか、あるいは、共犯者と、いつ、どこで、どのようにして謀議を遂げたのか、証拠上全く不明であり、三・一〇事件のような重大な犯行を、行きずりの者同志が、たまたま、偶発的に共同して敢行するということは、稀有の事例に属することであり、また、三・一〇事件前後の被告人吹喜雄の行動に、特に、犯人であると疑わせるに足りるような状況が窺えるわけでもない。

もつとも、当時、被告人吹喜雄は、遊びに耽つてその費用にあてるため家族の衣類等までも入質していたことなどの事実は認められるが、いずれも、補助的な情況事実であつて、被告人吹喜雄を三・一〇事件の犯人と疑うことすら程遠いものである。

加えて、被告人吹喜雄は、三・一〇事件で犯人の嫌疑をかけられ、拘束の上捜査を受けるに至つたのは若冠二〇歳のときで、やくざその他無法者の社会に身を置いたことも、これらと交遊を続けた経歴もない、いわば、悪の社会に馴染のない青年というべきであるのに拘らず、同事件で拘束を受けて以来、単に自己の無実を主張するのみでなく、真犯人の発見に全力を傾注し、機会ある毎に、同房者らから、真犯人発見の端緒情報を入手することに努めるなどして来、その主張を遂げるため、執念ともいえるほどの熱意を持つて、その調査活動等に至るまでの経過ならびに本件犯行の動機中に述べたとおりである。

以上を総合勘案すると、被告人等が本件動機の根本として訴える被告人吹喜雄が三・一〇事件について冤罪であるとの主張を、確信をもつて否定するに足りる証拠はなく、右主張はこれを首肯することができ、検察官の主張するように、自己の犯した罪の責任を免かれるための不純な動機、目的に由来するものとは認められない。」

此点は、控訴審においても支持されている。この事は、十二月二十一日の判決言渡で――要旨の言渡であつて判決文は未だに出来てないが、之を批難する検事控訴が棄却されていること、からも明らかである。

静かに監禁強要事件の判決を考察すると、一応有罪とされて居るが、「徳本吹喜雄が「……三・一〇事件の犯人と疑うことすら程遠いもの……」(監禁強要事件第一審判決第一節第五)「……被告人吹喜雄が三・一〇事件について冤罪であるとの主張を確信をもつて否定するに足りる証拠はなく、右主張は、これを首肯することができ……」(同上)と認定されて居る。明らかに之は被告人が冤罪であることを認定して居るのである。

本件再審申立当時においては、未だ右判決は存在しなかつたので再審強要事件の証拠として上げなかつたが、抗告審で、本年十月九日監禁強要事件の証拠調の決定のあつた以後は、右判決は、当然証拠調の対象となつたことは明らかである。

(ロ) 判決が、証拠になることは、最高裁判所の一貫した判例である。

「証拠によつて認定した事実は、他の事実の証拠となり得ることは、当裁判所の判例とするところである。」

昭和三十五年(あ)第一三七八号、同三十八年一〇月十七日第一小法廷判決、

右判決が引用する。

昭和二十五年第七二五号、同年一〇月十七日第三小法廷判決、刑集四巻一〇号二一〇九頁)

本件抗告審決定は、全然此判決について判断されていない。

前記の如く再審請求当時に於て、特にこの判決を再審理由として請求人は、挙示しなかつたが抗告審裁判所が、職権で証拠調をした以上は、この判決の存在は明らかであるし、苟も「請求人が冤罪である」と証拠によつて認定して居るこの判決についての判断が為されねばならない。本件において前記判決は、そのなされた時期、過程、内容において「新規、明白な証拠」である。

同じ部でなされた監禁強要事件の控訴審判決は、前記第一審判決を支持して居るし、又審理過程でこの点について自ら証拠調もなされていないことは、明らかである。判決言渡の際の理由中に下駄の点について、目撃証人の証言の判断について若干の証拠価値の相違を述べられた(未だに判決文は出来ていないことは、前に述べた通り)が、刑訴法の精神から直接証拠調をし、自由なる心証により事実の認定をした第一審の事実認定をした第一審の事実認定は事後審の性質上軽々に、批難は許されない筈である。

それは兎も角として、前記控訴審判決が双方の控訴棄却して全面的に、原審判決を支持して居るのである。

この判決だけでも、新規明白な証拠の現存することが明らかである。

同一裁判所が、一面において請求人の冤罪を認容し乍ら、一面において再審の請求の棄却を意味する抗告棄却の今次決定は、何と理解したらよいのであろうか。

法律的な理由として今次決定は、判決遺脱の違法があり、前記挙示の判例を無視した違法があると思量するが、本件の如く一面において、請求人の無実を認容する判断を示しながら、一面に於て無実を晴らす再審の拒否を意味する。

本件抗告棄却を国民は、何と受取るであろうか。

日本国憲法下において国民は、裁判所こそ人権を守つてくれると信じているのである。以上の理由により、原決定を破毀し、速やかに、再審開始の決定がなされるべきものと思量します。

第三点 原審抗告棄却の決定は経験法則に違反してはならない、という判例に違反するか、判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認があり、破毀しなければ著しく正義に反する場合であり、刑訴第四百十一条により破毀さるべきものと思量します。

特別抗告については刑訴法第四百十一条の準用があることは、判例学説の一致した見解である。

判例 昭和三十六年五月九日

最高裁判所 第三小法廷 決定

同 三十七年二月十四日

〃     大法廷 決定

一、原審決定理由において、小林ら三名の自供内容は被害者稲村清の供述と比較して著しく相違し、多くの個所において彼らの別に犯した二月二日事件と似て居る点を取上げ、彼等の供述が信用性がないと言ふ。(神戸地裁の再審棄却決定、大阪高裁抗告棄却決定理由参照)

即ち右に挙示されるところは、

(イ) 犯行日時の三人の供述

(ロ) 三名の最初の乗車位置

(ハ) 被害者(稲村清)のタクシーの走つてきた方向、三名が命じた行先

(ニ) 犯行の態様

(ホ) 三名の乗車位置

等であつて被害者稲村清の供述との間に相違する点を指摘されている。

(ヘ) 更に小坂喜代治、谷口勇の供述する「本件犯行直後とおもわれる時刻に、三田町梅ノ木の街道上でタクシーに行き合い三木へ行く道をきかれたと言ふが奥の自白では「逃走途中道をたづねた記憶がないと述べていること。

(ト) 小林ら三名の自白においては、容易に記憶が薄れるはずのない犯行の場所および奪取にかかる自動車を乗り捨てた場所に関する供述がそれぞれ動揺し明確を欠いていること。

之らの点を理由として小林ら三名の自白を内容とする新証拠の信用性を否定した原決定(神戸地裁の棄却決定)は支持できるといふのである。

右に指摘されている小林ら三名の自供内容が稲村の供述と相違して居ること、又その自供が「二月二日の犯行の態様と符合する点が随所に発見されることはほぼその指摘のとおりである。

二、しかし之によつて小林らの自供に信用性がないとすることこそ大変間違つた論断と言わねばならぬ。

(イ) まづ看過されてはならないことは、小林らの大塚義一に対し自供の為されたのは昭和三十六年十月十三日から十六日に至る間であつて、三・一〇事件は昭和三十二年三月十日のことであり、その間約四年七ケ月の歳月が経過して居るのである。四年七ケ月の歳月が通常人の場合その記憶を如何に稀薄にするか、は実験則、経験法則の教えるところである。

事件直後における被害者稲村清の前記日時、場所等((イ)〜(ホ))の記憶は小林等の記憶に比し比較的正確と見ることに大して異存はないが之迚、深夜自動車強盗に襲われた恐怖の一夜の記憶がどの程度正確であつたかに疑問をさしはさむ必要があろう。

三名の乗客を乗せ(強盗とは思わず)突如後方より襲撃された瞬間以後は恐怖と混乱で夢我夢中で逃げたのである。前段に於ては業務上の習慣的行為で特に記憶に強く残らなかつたことも考えられるし、後段は恐怖と混乱の中の経験であり、之又記憶の正確度は怪しいものである。この両者の比較の方法が根本において間違つているのである。実験則を無視して居るのである。違つて居るのが却つて信用できるので完全に近く一致して居たらそれこそ信用性がないと言われても仕方がないであろう。

前記(イ)乃至(ホ)の事実は最も正確な記憶の期待できない事柄であることは之又実験則の教えるところである。

如何なる人も四年七ケ月前の経験を聞かれて、いかに努力するも正確に答え得る人はない筈である。備忘の記録等の補助により辛うじて答え得るであろう。

小林ら三名は二・二事件等により裁判を受けた事件で異常な経験をして居たればこそ、多くの記憶違いをし乍らも大筋に於てその記憶をよみ返らすことができたのである。

(ロ) 小林ら三名の大塚に対する供述が「仔細にみると同人らの二月二日の犯行の態様と符合する点が随所に発見されること…」を彼等の供述の信用性を否定する理由とされている。

之又実験則の教えるところを無視した判断ではなからうか。

彼らの三・一〇事件の犯行がまづ真実であつたと仮定して見よう。

二つの犯行は同一編成の三人組の夜間自動車強盗である。手口はいづれも後方より運転手の首をしめている。時は春まだ浅き昭和三十二年の二月二日と三月十日である。場所はいづれも有馬街道上である。

この二つの犯行で特に違ふところは三・一〇事件では自動車を強奪乗逃げして大阪十三附近に乗捨てた点である。

この二つの近接時の経験を四年七ケ月後に回想して記憶を辿るとき二つの経験が混淆して、記憶によみがえることが自然である。之も又実験則経験法則の教えるところである。

それあるが故にその経験事実がなかつたと考えることこそおかしいのである。原決定之を支持した原審決定はこの記憶の混淆を指摘してその事実を否定するのである。

経験則に違反した事実の認定と言ふ所以である。

(ハ) 前記(ヘ)の「小林らは当時いづれも三田方面に住居をもち付近の地理に明るくて三田から三木に通ずる順路を人にたずねる必要が考えられず……」というが、犯人等が人に会いその逃走経路を糊塗するための作意による場合もありうるし之あるが故にとの原審の結論も首肯できない。更に前記(ト)の「容易に記憶が薄れる筈のない犯行の場所および奪取にかかる自動車を乗り捨てた場所に関する供述がそれぞれ動揺し明確を欠いていること……」からその供述に信用性がないと論断される。

之こそ反対結論となる筈である。

犯行の場所放置場所は三名共未知の場所である。夜間の有馬街道上の犯行場所辿り付いた大阪十三付近の放置場所、之が客観的の真実の場所を適確に明確に指摘していたらそれこそ怪しいわけである。「動揺し明確を欠いて居るところこそ真実性があるのである。「容易に記憶の薄れる筈のない」と言う事こそおかしい、之亦常識と実験則のお叱りを蒙る無茶な論法と言うの外はない。

三、原審決定は岩越の証言を根拠として再び下駄が「本件罪体事実と請求人との関係についてかなり高度の蓋然性をうかがわせる……」と言う。

原審で証拠調の行はれた監禁強要事件の一審判決は詳細な証拠調の結果三・一〇事件と関係がないと認定された。

請求人は同事件に於て、岩越の供述する「母に言われて大きい下駄を買つた……」と該事件の法廷における検証の結果岩越の足に余りにも小さい事を発見した。

岩越の十数回の供述は猫の眼玉の如く変幻している。彼の母は「あの子の言うことは信用できない」と証言して居る。彼は請求人の姉の夫であつたが行状面白からず離別に至り、之が報復のため請求人を陥れ出とした悪意害意の窺われる証人である。こうした点から請求人側は下駄は本件に関係のないことを論証して来たが、前記事件の第一審判決は別個の証拠判断から同一結論――三・一〇事件と関係がないという――を認定されている。

更に空野宏の証言により真の犯行現場は二百米も違つて居る事実が立証されている。このことからも下駄が三・一〇事件と無縁であることが確認されているのである。

しかるに原審決定は三・一〇事件の被害者稲村清の証言を基礎として前記の如き見方をされるのである。

その論証の方法が不条理である。確定判決に疑があり、更に徹底した証拠調の結果に眼をおおい、――自ら直接には何らの証拠調をせず――別の見解を出されていることが不条理である。

更に稲村清の証言に故意の歪曲は考えられないが、前にも述べたように深夜突如未知の場所で襲撃され、命からがら逃げ出した場所の指示――翌朝の現場検証の粗編雑も立証されている――が極めて正確を欠くことは之亦実験則の教えるところである。之に反し空野宏は附近の住民で電気技術の職業上電柱番号を基準として記憶し、真の現場を指示し得て居るのである。

検察官は空野の人となりに付その証言の信憑性を攻撃する立証を試みて居るが(監禁事件の控訴審)その妻子(今は離別して居る)の証言から却つて空野の証言の真実性が裏付けされている。更に別件に提出した翌日の各新聞が空野の証言の裏付、即ち真の犯行現場の発見を根付て居るのである。

之又原審の事実認定の方法が従つて結論が明らかに誤つて居るのである。実験則がそう指摘する。

弁護人が本件再審申立事件で提出して居る昭和 年 月 日の意見書、控訴趣意書監禁強要事件、同事件の弁論要旨に之らの論点に付具体的に証挺を挙げて論証して居ります。この際是非御一覧願い度いと思います。

四、原審決定理由は更に「……別件監禁強要事件の第一審判決において徳本らが本件確定事件のえん罪であることに固い信念をもち、これを明らかにしようとするために右別件行為に及んだとする主張を首肯することができる旨の判示が見られることは事実であが、その判文全体を通読すれば、右の判旨は要するにえん罪の主張が別件行為の動機となつていることを首肯しうるという趣旨であつて、本件確定事件における犯人が徳本以外の別人であることを断定しているものとは読みとれない……」という。

何という奇妙な論法であろう。右判決のこの判文からは「徳本以外の別人であることを断定していると誰が言うであろう。確定判決にかかわらず慎重な証拠調の結果徳本がえん罪と認定されている事が大変なことである。しかしこの部分の判旨は請求人徳本が「えん罪であると首肯できる」換言すれば徳本が無実の罪をうけて居ることを裁判所が確認して居るというのである。だから再審の開始を求めるのである。前記第一審判決は監禁強要事件には大塚以外は有罪としながらも各一ケ月半一年間執行猶予徳本は一ケ月半三十九日通算(起訴前の拘留期間を全部通算されている)という殆んど無罪に近い名目的な量刑をし、控訴審も検事控訴を棄却し、この判決を支持されているのである。

えん罪を認め乍ら再審は開始出来ない。健全な国民の良識は何と批評するでしようか、われわれ法曹は三思三省するのでなければ裁判が国民から遊離する事を怖れます。

徳本のえん罪を認めている監禁強要事件の第一審判決――一人の庶民のえん罪か否かを明らかにする為に払われた血の出るような努力の迹を三十四冊一万四千丁二万八千頁の一件記録と三百数十頁の判決から読み取られ度い。この判決に全面的には服しないがそこに脈打つ裁判官の良心に私は心から頭を下げる。

之に反し、この判決の存在を認め乍ら、徳本のえん罪を認めた判決の存在を認め乍ら――之を認める以上之を救出することこそ裁判所を中心とし全法曹の最高の使命である筈である――軽く此ことを看過し、「その事は別件の動機となつていることを首肯しうるだけ……」と判示される。「えん罪」は認めるが、それは別のことだと言うのである。この判決は確定判決を直ちに左右するものではないが、「裁判所が之を認めた――一、二審共――ことが至重の意味を有つ筈である。人権尊重意識の何と違うことであろうか。前にも述べたが、三十四冊、一万四千丁の記録を調査し、ニケ月で処理し得たとすることの何と恐るべきことか、肌に粟の生ずる思いのするのは私だけでしようか。

「破毀しなければ正義に反する最も典型的な場合でありましよう。

五、本件、小林ら三名の自供を内容とする諸証拠について、信用性に欠けるとされる。

(イ) 立場を換えて、国家官権による、この自白の任意性が争われる場合を想像すると、仮に小林が請求人におどされたとしても、その大塚に対する供述の態度、録音の音調内容等から見て誰が、その任意性、信用性を批護しうるでしよう。奥、下山に至つては、その事実すら考えられません。(之らの点は、本件再審意見書で証拠に基き詳論してありますから御参照願います。)その自供の直後、親、兄弟を大塚は、招致して話合わしている点から見たら任意性について、批護する余地はありますまい。

此ことは、十分公平の担保となつて居りましよう。之が否定されるに至つては、天を仰いで慨歎するの外ありません。

この小林らの大塚に、対する自供、大塚が小林らからの供述録音等をとつたのは、僅々十月十二日から十六日に亘る五日間のことです。良心に目覚めた当時の小林らの協力あればこそですが、それに、してもよく之だけの証拠が集め得られたと警嘆の外ありません。

事は、四年七ケ月前の事、前叙のように関係人の色々の記憶違いもありましよう。

問題は、小林ら三名が、三・一〇事件の真犯人かどうかにかかります。原決定、原審決定は、別件一、二審記録を見られたのでしようか、いや、弁護人の証処を具体的に挙げて論証して来た、「意見書」「弁論要旨」「控訴趣意書」等を御覧になつたのでしようか。

(ロ) 小林等は、三・一〇事件の真の犯人でなければ言えないことを自供しています。特に、

A 強奪した自動車の放置場所

大塚を案内して既に激変して居る場所に誘導し得て居る状況。

B 犯行場所の指示

二・二事件との記憶の混乱で所謂「動揺、明確を欠いている点にむしろ、任意性と信用性が認められること。

C 空野によつて判明した真の三・一〇事件の真の現場を奥が徳本吹喜雄に指示していること。(大塚現場見分の際)

以上A、Bの点は、弁護人の再審請求の意見書(昭和三九年(た)第二号)の第二章総説、第二、四「真犯人でなければ述べ得ない小林等の供述」に具体的に証拠を挙げて論証して居ますから是非、御検討願います。

又(C)については、「徳本吹喜雄再審請求並びに同趣意書」中、

第三章、現場の相違問題48―56頁

及び監禁強要事件の現場検証の際の奥の証言参照。

以上詳述したように、原審決定は、その「事実の認定が、実験法則、経験法則に違反してはならない」との判例に違反する違法があるか、重大な事実の誤認があり破毀しなければ正義に、反する場合に該当するものと思量します。

原決定を破毀して一日も早く再審の開始あらむことを熱望いたします。

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